『久米南町旅ある記』は、管理人が久米南町にドライブ旅行に行ったときの記録です。
・誕生寺
・川柳の小径
・棚田
などなど、久米南町は、ここでしか見られないユニークスポットがあちこちに点在しています。路の駅も整備されていますので、ちょっとした小旅行に最適でした。
どこの土地でも、その土地で語り継がれる偉人はいるものですが、ここ久米南町にもそうした偉人が何人かいます。
河原善右衛門。
彼は1600年代にこの久米南町地方で大きな功績を残した人で、私財を投じて農業改革に取り組み、現在まで語り継がれるような大きな成果を上げています。
そんな河原善右衛門の供養塔を訪ねてみました。

こんな感じで案内の道しるべが道端に立っています。ものすごく目立つわけでもないので、途中ちょっと迷ってしまいました・・・(汗)。

例によって例の如く、こんな細〜い山道を登っていくことになります。

細い山道を登りきったところにちょっとした広場が拓けていて、奥のほうに石碑が見えます。どうやらあそこが河原善右衛門の供養碑があるところのようです。

休憩小屋には、こんな案内板が立ってましたが、もう字も薄くなっていて写真では何をかいているかさっぱりわかりませんね。
================
寛永14年1637年久米南条群弓削村に生まれ、才気に富み、長じて大庄屋となり、善政を施す。農業振興、民政安定に尽力した。特に坪井池(通称誕生寺池)など、多くのため池を築造し、灌漑面積は100ヘクタールに及んだ。
また、延宝7年から皿川の改修を行い、新堤防を築き、塁・河川敷を開発して新田を得るなど、多大の治績を挙げ、津山藩主森氏の信任厚く、破格の待遇を受けた。
しかし、卓越した手腕が藩の重臣の嫉妬を買い、隠し田の罪に陥れられ、連座した一族とともに貞亨2年4月27日、推定49歳をもって磔に処せられ、刑場の露と消えた。
昭和4年、従5位が贈られた。
================
切ない話ですね。嫉妬で人の命、それも一族もろとも奪ってしまうというのは、一体、どんな神経をした重臣だったのでしょう?
最近、残酷な事件が話題になることが多いですが、この時代だって現代に負けず劣らず身勝手で残酷なことをしていたってことですね。
今の時代に生きていれば思う存分力を発揮していただろうにと思ってしまいます。

ちょっと雑草が茂ってますが、これが河原善右衛門の供養碑とのことです。

お墓・・・?っぽいですね。
ここの善右衛門が眠っているのでしょうか?
よくわかりません。


ここにも案内の碑が建ってます。
河川の改修、道路の開設、堤防改築、新地開墾、ため池の新築修築を行い、特にため池は未だに多くの田畑を潤している、、、そんなことが書いてあります。

奥の方にも何やらあったのですが、普通のお墓っぽかったので行っていません。

そしてまた細い道を帰っていくのでした。